言いつけてやる

 

「お母さんに言いつけてやる!」

小さい頃の幼馴染がよく言っていたのを思い出す。

0歳から一緒だったけど喧嘩に負けた事は1度も無かったなぁ、、

 

幼馴染は頭の良い優しい普通の人間で

私は雲と木が好きな少し変わった人間だったね

 

今何しているのだろうと考えるけれど

聞いても余り興味が沸かないだろうなぁ

 

小さい頃、友達に喧嘩に負けた時

僕は喧嘩に負けた事が無かったから

「お母さんに言いつけてやる」

というセリフを一度でいいから言ってみたい

と思っていたんだ。

硬く丸められた新聞紙で頭を叩かれた時

「お母さんに言いつけてやる」

と言ってみた。

涙が溢れて、友達のケラケラした笑い声が聞こえてくる。

そのまま泣きながら家に帰って涙を拭いてみたら

僕は自分がなんで泣いたのかがわからなかった

痛かったのは痛かったけど

好奇心で発言してから涙が溢れたのを覚えている。

あの涙は私の身体の何処から産まれて、私をどうしたかったんだろう?

涙の意味がよく分からなかった。

 

感動して泣くのも涙

悲しくて泣くのも涙

殴られて生理的に出る涙も涙

目にゴミが入って出る涙も涙

好奇心で発言してグニャっと感情的に泣くのも涙

ピカソの絵に感動して泣くのも涙

 

あの後、私は不気味に笑い

私も幼馴染のように決めセリフを言って

泣けたんだ、、と思い

自分自身に普通の人間の部分がある事に喜び安心していたのを思い出す。

 

幼馴染をずっと観察していた。

どうすれば普通になれるのか

今思うと、普通ってなんだったんだろう?と思う。

幼馴染はいわゆる普通の人間だったけど

幼い頃の僕は幼馴染のような普通の人間になりたかった訳じゃ無かったと思う。

 

飛び抜けて産まれてきたから

普通になる努力をしなくちゃいけなかったんだと思う。

日本は大好きだけど嫌いだ。

つまらない世界、学校という名の軍隊育成機関、妄想と現実があべこべになり観察力を磨いても普通にはなれなかった。

 

アンダルシアの犬、目玉、、アリの巣

目玉を切ったらあの日の涙の理由がわかるかなぁ、、